ラブルースト先生の建築教室

将来の仕事に迷っている中学生や高校生に、「建築」という仕事はどう?と勧めるためのブログです。

さて、今回は、

建築の「業」についてお話ししましょうかね。

 

「ぎょう」ではないですよ。「ごう」です。

 

意味は自分たちで調べてくださいね。

 

 

つまりねえ、建築という仕事は、この世にある「仕事」の中で、最もやりがいのある仕事だと思うわけである。

 

ただ、その反面、というか、実際、最も「きつい」仕事である、という認識が、強くある。

 

難しいところなんである。

 

 

「建築」というのは、「ものづくり」の仕事の中でも、最上位に来る仕事である。ウォークマンよりも、車よりも、とてつもなくデカいものを作り出しているんである。そこに「やりがい」があり、反面「きつさ」もあるわけなのだが、「きつさ」の部分は、「気持ち」の部分で、いくらでも改善できる、というのが私の持論である。

 

実際「きつい」、が、外から見てる時ほど、「きつくはない」。ただし、精神的強靭さは、必要かもしれない。

 

「建築」は、本来、「カタギ」の仕事である。人が住まう家を作りたい、雨風をしのげる建物を作りたい、という人間の欲求に対して、大勢の人の知力と体力を結集して、地道に建物を作り上げていく。素晴らしい仕事である。

 

ただ、第1回目の授業で少しだけ言いましたが、それだけ大きいものを作り出すということから、とても大きな「カネ」が動く、という事実を無視してはならない。その関わる大勢の人が、この仕事を頼りに生活していかなければならないのだからね。

 

中には、この大きく動く「カネ」を、「独り占め」しようと画策してくるものが現れる。そしてその欲求は、とても多くの建築人に、纏わりついてくるものなのである。

 

私は思う。「建築」という仕事は、素晴らしい仕事である。その素晴らしい仕事に就いている以上、それ以上のものを望むのは、少し強欲過ぎやしないか、と。

 

無論、「カネ」は生きていく上での、最重要項目である。ただし、銀行じゃないんだから、この素晴らしい仕事に、「カネ」という要素を持ち込むことは、少し野暮ったい感じがするのである。

 

勿論、建築だって産業の一つであるわけだから、仕事を進めていく上で「カネ」が絡んでくるのは、当然と言えば当然のことなのだが、なんと言うか、建物を作り上げる浪漫の過程に、そういうものを絡ませて物事を話したり考えたりするのは、いかにもつまらないことではないか、と思うわけである。

 

以前の授業でも言いましたね。建物を作り上げることは、浪漫の世界なのである。壮大なヴィジョンを持つも良し、細部に徹底的にこだわるもよし。自分の出来る範囲のことを、精一杯やる。精一杯やった先に、「カネ」が後から付いてくる。そういうのが、この仕事の本質なんではないかと、思うのである。

 

 

冒頭に、「業」について話す、と言っておきながら、結局「浪漫」について話してしまいました。うむ、なんと言いますか、仕事の「業」については、実際にこの職に就いてから、自分の肌で感じ取って欲しいところであります。それが完全に悪いものだとは、私は言い切りません。この「業」あっての、建築という仕事です。それは、どの仕事についても、必ずあるものだとも思いますがね。

 

さあ、今回はこの辺にしておきましょう。蛇足ですが、私は、「です・ます」調と、「である」調が、混在した話し方をします。気付いた方もいるかもしれませんね。最近気づいたのですが、私は、熱が入ってくると、「である」調になってくるようです。………?そうとも限らないかな?まあ、あんまり気にせず、内容の方だけ聞いてくれればいいですよ。気になるなら、「先生、気になります!」と言って下さいね。はい、蛇足でした。

 

それでは、また次回。